思い出のネオユニヴァース。
2004年9月17日 ワタクシの競馬ニュース、その他来週の月曜、敬老の日の札幌競馬場で2003年の皐月賞、日本ダービーを制したネオユニヴァースの引退式が行なわれます。2003年の競馬はまさにユニヴァースとイタリアの若き名手・ミルコ・デムーロ騎手この二人の為にあったと言ってもいいほどで、まさに猛威を振るう台風のように競馬界を席巻しました。
ワタクシが彼の名を強烈に意識したのは、きさらぎ賞。シンザン記念を勝ち、クラシック候補の大物として堂々登場してきたサイレントディールに期待を懸けていましたが、外に大きく弾かれながらも突き抜けたユニヴァースが勝利、これは強いと思いましたが、この日記でもこの結果を受けてクラシック戦線は混沌、と書いているようにまさか二冠馬になるほどまでとは思っていませんでした。
スプリングSでサクラプレジデントをあっさり子ども扱いにして、迎えた皐月賞、同じくプレジデントとの素晴らしい名勝負の末、栄冠を手にしたユニヴァース、ワタクシも「高いレベルの確実性に富んだキレは皐月賞馬に相応しい極上の宝刀」と表現し、今度はこれは怪物が現れたと舌を巻きました・・・そして早くも三冠を意識しました。
そして嵐が吹き荒れた日本列島、その翌日、今にも泣き出しそうな曇り空の中で行なわれた69回目の日本ダービー。ワタクシも府中へ赴きました。重馬場という悪条件の中、ユニヴァースは後方から、「これは・・・」と波乱を覚悟したのも束の間、一番重くなっている内を突いてユニヴァースはまたも末脚を爆発させました。
そして、場内に鳴り響く「デムーロコール」涙ぐんだイタリアの若き名手が脱帽し、しきりにユニヴァースを指差し、称える仕草を見せたシーンが今でも感動とともに印象に残っています・・・。
冷夏の夏を越え、秋を迎えたユニヴァースでしたが、神戸新聞杯はダービーで斬り捨てたゼンノロブロイの後塵を拝してしまいましたが、あのナリタブライアンも秋緒戦は敗北した事実があるだけに菊花賞での三冠達成に向けては視界よしという見解でした。
迎えた菊花賞、ワタクシは三冠達成の瞬間を目撃するべく、淀の地に降り立ちました。レース直前のターフヴィジョンに躍る「成るか三冠」の文字、歴史的瞬間を見届けるべく、固唾を呑んでスタートを待ちました。
しかし、勝ったのは早めにロングスパートをかけてきたザッツザプレンティ、ユニヴァースは定石通りの正攻法でザッツに襲い掛かったのですが、及ばず、さらにリンカーンにも差されての3着・・・距離が長かったのが最大の敗因で、勢いを失ったわけではない・・・と自分に言い聞かせました。
その後、ジャパンカップでもザッツの後塵(重馬場でしたから後泥?)を拝して3着でしたが、翌年の大阪杯で勝利して、ユニヴァース健在をアピール・・・しかし、伝家の宝刀のような爆発的な斬れが売りだったユニヴァース、ワタクシも大阪杯の回顧でナタの斬れ味と表現したのですから、やはりピークは過ぎていたのかもしれません。
その後、距離は成長とともに克服したと思われた天皇賞・春で11着と敗れたユニヴァースは不治の病、屈腱炎発症、骨折も併発して一時は復帰を目指すと伝えられたものの、引退、種牡馬入りとなりました。
ネオユニヴァース・・・ワタクシは彼の勝ちっぷりをよく「咆哮」という言葉で表現しました。皐月賞・ダービーでの鞍上のデムーロ騎手の歓喜の爆発、猛り狂うような爆発的な末脚から連想された言葉でした、ユニヴァースにぴったりの荒々しくも美しい言葉です。
ブライアンから約10年・・・2003年のワタクシにまた「強い馬の強い競馬」の新たな姿を見せてくれたユニヴァース、そう、言い換えればそれが紛れもない新しい宇宙、ネオ・ユニヴァースだったのかもしれません。
種牡馬としても、母の父にスピード豊かなクリスが入っていることで血統的なバックボーンは十二分といえます、スピードを生かしていきなり大活躍となってもおかしくないはず、兄のチョウカイリョウガとともにこれからの第二の人生でも新しい宇宙を創造し続けてくれるはずです。
ありがとう、ネオユニヴァース・・・お疲れさま・・・。
ワタクシが彼の名を強烈に意識したのは、きさらぎ賞。シンザン記念を勝ち、クラシック候補の大物として堂々登場してきたサイレントディールに期待を懸けていましたが、外に大きく弾かれながらも突き抜けたユニヴァースが勝利、これは強いと思いましたが、この日記でもこの結果を受けてクラシック戦線は混沌、と書いているようにまさか二冠馬になるほどまでとは思っていませんでした。
スプリングSでサクラプレジデントをあっさり子ども扱いにして、迎えた皐月賞、同じくプレジデントとの素晴らしい名勝負の末、栄冠を手にしたユニヴァース、ワタクシも「高いレベルの確実性に富んだキレは皐月賞馬に相応しい極上の宝刀」と表現し、今度はこれは怪物が現れたと舌を巻きました・・・そして早くも三冠を意識しました。
そして嵐が吹き荒れた日本列島、その翌日、今にも泣き出しそうな曇り空の中で行なわれた69回目の日本ダービー。ワタクシも府中へ赴きました。重馬場という悪条件の中、ユニヴァースは後方から、「これは・・・」と波乱を覚悟したのも束の間、一番重くなっている内を突いてユニヴァースはまたも末脚を爆発させました。
そして、場内に鳴り響く「デムーロコール」涙ぐんだイタリアの若き名手が脱帽し、しきりにユニヴァースを指差し、称える仕草を見せたシーンが今でも感動とともに印象に残っています・・・。
冷夏の夏を越え、秋を迎えたユニヴァースでしたが、神戸新聞杯はダービーで斬り捨てたゼンノロブロイの後塵を拝してしまいましたが、あのナリタブライアンも秋緒戦は敗北した事実があるだけに菊花賞での三冠達成に向けては視界よしという見解でした。
迎えた菊花賞、ワタクシは三冠達成の瞬間を目撃するべく、淀の地に降り立ちました。レース直前のターフヴィジョンに躍る「成るか三冠」の文字、歴史的瞬間を見届けるべく、固唾を呑んでスタートを待ちました。
しかし、勝ったのは早めにロングスパートをかけてきたザッツザプレンティ、ユニヴァースは定石通りの正攻法でザッツに襲い掛かったのですが、及ばず、さらにリンカーンにも差されての3着・・・距離が長かったのが最大の敗因で、勢いを失ったわけではない・・・と自分に言い聞かせました。
その後、ジャパンカップでもザッツの後塵(重馬場でしたから後泥?)を拝して3着でしたが、翌年の大阪杯で勝利して、ユニヴァース健在をアピール・・・しかし、伝家の宝刀のような爆発的な斬れが売りだったユニヴァース、ワタクシも大阪杯の回顧でナタの斬れ味と表現したのですから、やはりピークは過ぎていたのかもしれません。
その後、距離は成長とともに克服したと思われた天皇賞・春で11着と敗れたユニヴァースは不治の病、屈腱炎発症、骨折も併発して一時は復帰を目指すと伝えられたものの、引退、種牡馬入りとなりました。
ネオユニヴァース・・・ワタクシは彼の勝ちっぷりをよく「咆哮」という言葉で表現しました。皐月賞・ダービーでの鞍上のデムーロ騎手の歓喜の爆発、猛り狂うような爆発的な末脚から連想された言葉でした、ユニヴァースにぴったりの荒々しくも美しい言葉です。
ブライアンから約10年・・・2003年のワタクシにまた「強い馬の強い競馬」の新たな姿を見せてくれたユニヴァース、そう、言い換えればそれが紛れもない新しい宇宙、ネオ・ユニヴァースだったのかもしれません。
種牡馬としても、母の父にスピード豊かなクリスが入っていることで血統的なバックボーンは十二分といえます、スピードを生かしていきなり大活躍となってもおかしくないはず、兄のチョウカイリョウガとともにこれからの第二の人生でも新しい宇宙を創造し続けてくれるはずです。
ありがとう、ネオユニヴァース・・・お疲れさま・・・。
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